ピンク・フロイドの脱退と新たな道:ベーシスト不在の物語

ピンク・フロイド(Pink Floyd)は、その長い歴史の中で何度もメンバーの脱退や加入、内部対立などの危機に直面しました。この記事では、特にロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)の脱退とその後のバンドの歩みについて、ベーシストを新たに加入させなかった理由を中心に振り返ります。

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目次

ロジャー・ウォーターズの脱退とその背景

クリエイティブコントロールの争い

1980年代初頭、ロジャー・ウォーターズはバンド内でのクリエイティブコントロールを強く主張しました。特に『ザ・ウォール(The Wall)』や『ファイナル・カット(The Final Cut)』の制作過程では、ウォーターズがほぼ全ての創作面で主導権を握り、他のメンバーとの対立が深まりました。この結果、1985年にウォーターズはバンドを脱退する決断を下しました。

法的闘争

ォーターズの脱退後、彼はピンク・フロイドの名前とバンドのアイデンティティを巡ってデヴィッド・ギルモア(David Gilmour)とニック・メイスン(Nick Mason)と法的闘争を繰り広げました。最終的に、ギルモアとメイスンがバンド名を使用する権利を得ることで決着がつきました。

新たなベーシストの不在

デヴィッド・ギルモアの多才さ

ロジャー・ウォーターズの脱退後、デヴィッド・ギルモアがバンドの主導権を握りました。ギルモアはギタリストでありながらもベースのパートを演奏できる多才なミュージシャンです。彼はアルバム『ア・モーメンタリー・ラプス・オブ・リーズン(A Momentary Lapse of Reason)』や『対(The Division Bell)』の制作で多くのベースパートを自ら演奏しました。

サポートミュージシャンの起用

トニー・レヴィンとガイ・プラット

ウォーターズの後任として、正式なメンバーとしてではなく、サポートミュージシャンとしてトニー・レヴィン(Tony Levin)やガイ・プラット(Guy Pratt)が起用されました。特にガイ・プラットは、ライブパフォーマンスやツアーでバンドと共に長期間にわたって演奏し、ピンク・フロイドのベースサウンドを支えました。

柔軟な編成の利点

サポートミュージシャンの起用により、バンドは柔軟な編成を保つことができました。これは、スタジオ録音やライブパフォーマンスにおいて、必要に応じて適切なミュージシャンを選ぶことができる利点がありました。

他のメンバーの脱退の影響

シド・バレットの脱退

ピンク・フロイドのオリジナルメンバーであり、初期の主要なソングライターであったシド・バレット(Syd Barrett)は、1968年にバンドを脱退しました。彼の精神的健康問題とドラッグ使用が原因で、バンドとの協力が難しくなったためです。これにより、デヴィッド・ギルモアがバンドに加入し、シドの役割を引き継ぎました。

リチャード・ライトの脱退と復帰

『ザ・ウォール(The Wall)』制作中、ロジャー・ウォーターズとリチャード・ライト(Richard Wright)の間で深刻な対立が発生し、ライトはバンドを脱退しました。しかし、1987年のアルバム『ア・モーメンタリー・ラプス・オブ・リーズン』の制作において、ライトは正式なメンバーとして復帰しました。彼の復帰は、ピンク・フロイドのクラシックなサウンドを再び取り戻す重要な要素となりました。

シド・バレットの影響の払拭

『狂気(The Dark Side of the Moon)』

シド・バレットの影響を完全に払拭できたと考えられるのは、1973年にリリースされたアルバム『狂気(The Dark Side of the Moon)』からです。このアルバムはピンク・フロイドが完全に新しい音楽的方向性を確立し、バレットの影響を超えた新しい創造的なビジョンを示した作品です。

『おせっかい(Meddle)』の重要性

また、多くの評論家は『おせっかい(Meddle)』をバンドの自立と評価しています。このアルバムでは、デヴィッド・ギルモアとリチャード・ライトのギターとキーボードの演奏が前面に出ており、特に「エコーズ(Echoes)」はその象徴的な例です。ギルモアとライトの演奏がバンドの特徴的なサウンドを形成し、シド・バレットの影響を超える新しい音楽的アイデンティティを確立しました。

まとめ

ピンク・フロイドは、メンバーの脱退や内部対立という多くの危機を乗り越えながら、その音楽的遺産を築いてきました。ロジャー・ウォーターズの脱退後、新しいベーシストを正式に加入させなかった理由は、デヴィッド・ギルモアの多才さとバンドの柔軟な編成方針にあります。また、サポートミュージシャンの起用により、高いクオリティを維持し続けることができました。このようなアプローチにより、ピンク・フロイドは進化し続け、その音楽的な遺産を豊かにすることができました。

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